ロードラ語り

残り半日程度で、ひとつのゲームが終わる。

”Road to Dragons”
ロードラ。

ラストクエストを終えて、落ち着いて、振り返ってみるのこと。

■私にとってのロードラ

自分のスマゲ史上、私が最優と位置付けてるのがロードラだった。
異論一切認めず、メルストや他ゲェでどんなに熱心になっててもロードラが「一番」を譲ったことはない。
熱中の度合いでいうと、他ゲェに譲ることがあったかもしれないけども、実にサービス開始からサービス終了まで4年が経った今も変わらず「最優」であることは変わらない。

何にそんなに惚れ込んだのか。
実のところ、よく言われる「ストーリーがいい!」とか、「ゲームシステムがいい!」とか、多分そういうところで私は観てなかったと思う。
事実、巷のロードラーのようにストーリーを語れるほども覚えてないし、獲得したときにチラ見する程度で、熱心に絡み合うストーリーを読み解こうなんて気はサラサラなかった。

ではゲームシステム?私が始めたのはサービス開始から10か月程度経った、ある程度安定した時期に不意に面白そうなゲェムを誰に勧められるでもなく自分で見つけたことからだった。
当時としてはパズル+進軍+攻撃コンボが一体になっている操作はスマゲとしては最初から完成されてたわけで、確かにそこは凄く好きではあった。
しかし、サービス終了時点で私のランクは96、そこまでハマり込んでいたのかと言えば、そうでもなく、ある時期を超えると惰性でしかなかった。
高難易度を攻略する気力も無く、ユニット同士のコンボを考えるなんてこともなく、さりとて攻略サイトは全く観なかったということはないにしろ、稀にしか確認しなかった。
一応なんのかんので現時点で、全てのノーマルクエストは攻略したことにはなっているが、である。
だから、ゲームシステムに心酔した、というわけでもない。
好きではあったけど、惚れ込んだってところではなかった。

じゃあ何が、プレイした中での後半1年半はほぼほぼやってないに等しいのにアプリをアンインストールすることもなく、今の今まで続いていたのか。
だって、その間にも飽きてどんどんアンインストールしたゲェムは数知れない。
でもロードラは残った。
何故か残った。
それはもう、最初から大好きだった、全体的に統一されたアプリの画面デザインセンスと、至って独創的な世界観の中で動くユニットのデザインだ。
最終的には1700のユニットを超えたらしい。
しかし、敵モンスターに至るまで、全てが全て、ロードラの中で生きている、ただ単に攻略対象ではない何かだった。
それは画面の描画域を遥かに超えるスケールの巨竜でもあったし、本来疑似遠近がある横スクロールでしかない画面を突如としてクォータービューにシームレスに移行させてみたりした、そんな数々のサプライズにしてもそうだった。

■ロードラーからは一歩離れたところにいた

うん、実際そうだ。
積極的に関わろうともしなかった。
ひとつのコンテンツが宗教的に盲信されることを私は余り受け付けるほうではないし、「最高!最高!」と賞して、かえってそれを穢すことになるのも好まなかった。

・・・っていうか、前述の通り、ストーリーも生半可にしか読んでいなかったし、攻略もゆる~くでしかなかったので、積極的に関われなく遠慮していた感はある。
これって、メルストでもコアなところへは行かないスタンスと一緒で、それを極めたところで「だからなんだ」と最後に自分が吐き捨ててしまうことを知ってるから。

でも、ロードラーは凄く好き。
一時期、他ゲェからの流入が多くて、でもロードラって比較的安定したゲェムだったので、詫び石配布なんてまず有り得なかったことに立腹して、他所と一緒だと思い込んでやたら「詫び石!詫び石!」と連呼してる層が居たりした。
ロードラはケチ、とも評された。
そういうプレイヤーをロードラは毅然として排除してた。
「このゲェムそういうんじゃねぇから。」
・・・みたいに。
ある意味、運営の犬とでも思われてただろう。
違う。
多分、自分がまだ未プレイだった最初の動乱期を経て、安定期以降、不具合が皆無に等しかったその運営努力がちゃんとロードラーにも伝わってたから、同じ気持ちで居られたんだと思う。

だから、宮内Dが件の生放送でロードラ終了のあいさつをされた後、アクワイヤの遠藤社長が軽く流して居酒屋配信したときに皆憤ったんだろう。
言っても詮無きこととは皆分かってたにしても、ちょっとその扱いは酷すぎるんじゃない?とばかりに。

それでも、なんで終わるんだよチクショウ。
なんて皆言わない。
なんとなく皆気付いてて、そうだね、そろそろ終わりかもしれないね、ありがとう、おつかれさまでした、今まで楽しかった、そんな言葉がうちのツイッターのタイムラインにも溢れてたし、私のロードラでの100名を超える登録フレンドやクエストのゲストユニットでもわざわざ名前を変えて、「ありがとう」の言葉を伝え合う人が溢れてた。
凄いよこのゲェム、って今本当に思う。

■割とツボらなかった側面もあった

“D-Club”関係のイベントなんかは、なんかノリが合わなくて冷めた目で見てた(´・ω`・)
自社コラボなアキバやマインドゼロは何となくついていけたけど、関連会社コラボなラグナロクやディバゲには乗り気になれなかった。
あ、でもディバゲクエストの雰囲気はいつもと一風変わってて好きだった。
バンナムとかコーエーテクモとのコラボもあったけど、いまいちパッとしなかった。

また、高難度のイベントクエストは負担になることと、スタミナ消費が大きすぎることもあって、避けて通ることが多かった。
ちょっとの背伸びでなんとかなる程度ならいいけど、そうじゃない高ダメージ競争的なものになると俄然やる気なくなるので。

あと、マルチは実装当初はすげぇなロードラのシステムでマルチプレイ実現したのかよ!?って喜んだけど、その後はシキタリだとかなんだとか超めんどくさい話になりそうだったし、最後にマルチやったときは選択する余裕もなく置いてけぼりにされたので、以来全くやらなくなった。

■でも涙を流したこともあった

よりしろの唄。ドラ助の特攻。
ver.5.0.0.0への移行、カウントダウン、新しい世界へ。
あの時は、このゲェムすげぇ!やっててよかった!って思ったもの。

そして、ver.9.9.0.0 ラストクエスト”ROAD TO DRAGONS”
その手前、道の果て‐終わりの道‐
また涙腺緩んだじゃねぇか。チクショウ、チクショウ。

演出がいちいちこにくい。

■好きだったユニット

全ては、ルカから始まった筈、だけども最初に目をつけた、こいつまじかっけぇヽ(・Д・)ノ
・・・と思ったのは弓ではなく槍だった。
生粋の弓スキーのくせに。
その影響でメルストでまで槍スキーになってたりして、ロードラって罪深いなと。

最初に好きだったのはウルスラ。
最終的には・・・というか、なんだかだで他のユニットを差し置いて最優先で[救世皇]ウルスラまで育てた、槍ユニット・・・でどちらかというと限りなくコモンキャラ。
あと亜人系はククルとかポルンとか居たけど、正直ズルい(何が?)なので、いや好きだけど、ちょっと違うので、その後はずっとハラヘター、ウチトターさん、つまりパルメ。
なんで槍スキーになったんだろう。
・・・ていうか、めんどくさそうに4色弓パでアンリミしかしなくなった時分も何故かパルメさん好きだったわな。

最初の頃こそ、虹色水晶じゃぶじゃぶして、そんなにしなくてもユニット手に入るのにって言われたこともあったけど、ガチャ限狙いというわけでもなく、ただ新しいユニットが面白そうで砕きまくってた気がする。

アレね、中期ごろから妙にユニット被りが酷くなって、ロクにガチャもしなくなったのね。

■ロードラが終わる

もうこれしか言うことがないのだ。
横山P、宮内D、はじめ開発/運営スタッフの皆様、Ver.10.0図鑑化にGOサインをかけてくださったアクワイヤ遠藤社長、ロードラに関わった全ての方々、おつかれさまでした。
ありがとうございました。

私のNEXUS7(2013)のストレージ容量がアプリ入れ過ぎでどんなに逼迫する状況にあっても、今もこれからもロードラはインストールされたまま。
それほどに今までお付き合いできてよかったゲェムだった。

「ロードラ語り」への2件のフィードバック

  1. Ver.10.0図鑑化。軽くググってみた程度なので、間違っていなければ、図鑑機能(自身のプレイデータに基づく内容)だけのローカル動作アプリになるってことかな。
    ソシャゲはいつか終わってしまうとわかっていても、思い出を振り返るための何かを残してほしいという全プレイヤーの願いでありながら、やってくれそうなところってまずないよね(´・ω`・)
    この表現が適切かどうかはさておき、お疲れ様。

    1. で、そのVer.10.0をDLしてるわけだがダウンロードシークエンス終わらねぇw
      終わるアプリなのに背景から何から全て描き直しとかどーなってんだよこのゲェムwww

      外見は図鑑化。ロードラに触れたことがない、よく分からないという人にはそれでしかないんだと思う。
      ロードラーからしてみると、Ver.10.0は「自分が立ち入る権利を許された禁書館の一部」ということになる。
      ロードラのユニットは全て「本」の中から生まれる。
      最初から一貫して「本」がカプセルであって、開くと数多の英雄が誕生する。
      最後の一個前のクエスト、「道の果て‐終わりの道‐」で示唆された、これが英雄達の生きた証”魂”であることに触れ、プレイヤー一人一人が彼らとそして自分自身をどのように解釈してもいい、ここから先は自分が紡いでいく物語、で括っているのは、これら”魂の記憶の断片”から貴方は何を想うのか?という問いかけ。
      リアルにもリンクするし、それぞれの生きた証をもう一度開きたければ開いてくれ、そういうことだと思う。

      だからゲェムの形態でなくなっても、ロードラはロードラであり続けられる気がする。

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